ブログ再開します。

6月20日(月)に母の五 七日法要があり

一つの区切りとしてブログを再開します。

今日は再開ということで母の事を書きたいと

思います。


5月7日(土)の夕方いつものように約2年くらい

前から働いてる六万石ギャラリーから帰ってきました。

帰ってきて店先で近所のM君と話をしてから店に入り

店頭で売り出したばかりの商品について私と話をして

一度使ってみる!ということでカバンにしまい

裏で(キチン)長男、次女、私とテレビを見ながら

たわいもない会話して・・18:30までのアニメが終わると

母は隣の部屋に入りました。

10分か15分位した頃かな・・

着替えるには時間かかってるな〜明日は秋葉神社に行くから

その準備かな?でも準備っていっても・・

なんて思いながら夕飯の支度をしていました。

次女が隣の部屋からなんか音がする?って言いながら

戸をあけて・・・

「おばあちゃんが寝てる!」と

えっ?寝てるって?と思いながら部屋をのぞくと

いびきかいて寝ていて呼びかけても反応がなく

すぐに子供におじいちゃん呼んで!!と・・

旦那は仕事中でおじいちゃんがすぐにきてくれて・・

救急車を呼びました。

119番通報は初めての事でドキドキでした。

電話すると救急隊の方がいろいろ説明をして

くれて指示通り動きます。

一旦、電話を切って再度又かけなおしますと・・・

次に電話かかって来るまで1.2分だと思うのですが

その時間が長く感じて・・早く電話かけてきて!

と願うような気持ちでいました。

次女はワンワン泣いてるばかりで・・

長男は外で救急車を迎えてくれて・・

旦那は仕事していたのですがお客さんが

気を使ってくれて今日は帰ります。と・・

通報して救急車が来るまでの時間は後から考えと

そんなに時間がかかってないのかな?と思うのですが

もっと早くきて!!という思いでいっぱいでした。

病院は西尾病院です。

本当は西尾市民病院がかかりつけでしたので

そちらが良かったのですがいっぱいなのか・・受け入れて

もらえずでした。

救急車には父が乗り私は自転車で病院に向かいました。

病院に運ばれ・・検査が随分時間っかたのかな?

その間に妹二人がきてくれました。

旦那も何時頃きたか覚えがないですが・・

検査結果を5人で聞くと

脳内出血で出血の量も多いと・・

瞳孔も開いています。と言われ・・・

涙があふれ出ます。

それから病室に運ばれると凄い量の点滴です。

長女が私が母の日にプレゼントに健康運が良くなるという

ブレスレットを準備していたのを知っていたので

今から取りにいって渡そう!というので

一旦戻りブレスレットを手にはめました。

でも次の日には看護師さんにはずされちゃいましたが・・

その日は父が一晩病院に付き添いました。

明けて日曜日お店が始まる前に

部活がある長女と病院へ母の様子をみに行きました。

昼間は妹や弟が代わりに付いてくれて

父も睡眠を2.3時間とりました。


回診があり点滴で一旦瞳孔も閉じてきているときき

回復の兆しが見えてきた感じででした。

日曜日の夜は旦那が付き添いました。

旦那は親子水入らずで手をつないだり

会話も(一方通行)したと話てくれました。

ほとんど寝ないでそばにいたんでしょうね。


月曜日は午後から藤田学園から脳外科の先生が来てくれて

もっと詳しい検査をしてくれました。


結果は・・転院の話が出ました。

他の病院なら手術ができるかも・・と言うことで

安城の厚生病院だと3.4日後でそれまで

西尾病院で何もできないままでいる事は危険。

藤田学園は距離がありリスクが大きい。

刈谷豊田総合病院なら今からでも可能ということで

転院することに・・

刈谷豊田総合病院に母が着いたのは18:30頃かな?

私と主人は30分ほど遅くなり父と妹が

早めについていたので話を聞くと

やはり手術はできません。

発症して48時間以内に手術をしないと助からないといわれ

もし今、手術に踏み切っても手術中に・・・・

と言われました。

長くて2週間で1週間くらいで・・・とその日は

言われました。

次の日には1.2日でと言われ会わせたい人がいるのなら・・

と話がありました。


母の友人への連絡はとても迷いました。

母が長年仲良くしている方だけに連絡を入れさせていただきました。

するとみなさん連絡するとすぐにかけつけてくださいました。


九州の妹さんもかけつけてくださり病院のそばで2泊してくださいました。


2日間はICU室で3日目からはみんなが気楽に母のそばにいられるように

ということで一般病棟の個室に移りました。

父と長男は毎日朝から夜まで病院に行ってました。

旦那と娘たちと私はお店を通常より1時間早めにお店を閉めさせて

もらって毎日通いました。

母が入院している間に長女は修学旅行に行くことになっていて

いけるかどうかの状態でしたが母の様態の落ち着いていたので

どうにかいけました。

娘にはきっとあんたが帰ってくるまで待っていてくれるよ!

と話をしていました。


母が病院にいて会えるのは夜の1時間か2時間です。

仕事をしている間は気もまぎれるのですが

一人で夕飯の支度をしたりお風呂にはいたりと

一人でいる時間は自然と涙がでて・・

夢であってほしいと願う毎日で・・

ほんとにほんとにこんなことってあるの??

なんて思ったり・・・

一日が長く1週間がとても長く・・つらい毎日でした。


町内の方が母の為に千羽鶴・・千五百羽鶴を2.3日の間に

織ってくださって聞いたときは凄くうれしくてありがたく

涙があふれ出ました。

皆さんの願いが少しだけ届いたのかな?



母の容態は長女が帰ってきた金曜日くらいから

心拍数、血中酸素濃度、血圧の数値に変化が出てきて

土曜日もどんどん悪化していきました。

本当は月曜日、火曜日とお店が連休になるので

日曜日の晩は旦那が付いて月曜日の晩は私が付く予定でしたが

もしかして・・月曜日は無理かも?っていう思いが旦那と一緒になり


日曜日は母が大丈夫ならお店に午前中に帰るようにすればいいからと・・

土曜日の晩に私が付くことになりました。


偶然に友達のお母さんが母のお見舞いに行ってくださるということで

帰宅一緒にお願いすることに・・・


土曜日はいつもは7時頃お店を閉めるのですが・・

なぜか6時に閉めて病院に行きました。


母の顔のうぶ毛も伸びてきてたし眉毛も整えたくて・・

ちょっと黒くなってきた肌もきれいにしてあげたくて

道具を一式もって行きました。


病院には家族、妹二人、父の妹夫婦2組が21時の測定をみて

帰宅しました。

それから母と二人きりになって・・

もうすぐ始める事になってるムースデコエステをして

できる範囲で顔そりをして・・

片手だけハンドエステをしてあげました。


それから母の手を握っていろいろ話をしました。

母は何も言ってくれないので独り言ですけど・・・

「お母さん、いい嫁でなくてごめんね」

と最後に謝ったでけど・・何も言ってくれない・・。


しばらくすると・・・

母がおならをしたのか便をしたのかとても臭ってきて・・

その後に看護士がみえても何も言われないし・・

おかしいなぁ?

と思いながらいると又看護士さんが見えたので

母から臭うのですがどうですか?てきくと・・

あっ してますね。今から変えます!

と言われました。

便が出るっておかしいな?って何にもわからない私でも思い

看護士さんに聞いてみました。

すると・・やっぱり危険な状態ですね。

なんともいえないですけど自宅から30分はかかるので

最後看取りたい方は呼んでおいたほうがいいかも・・

と言われたと思ったらでも大丈夫かも?!と

でも一応家族に連絡します。

旦那と妹二人に連絡をいれました。

電話すると・・今家に着いたばっかりの状態で

迷う感じでしたが・・

みんな病院に戻ってきて・・

弟も仕事変わってもらってかけつけました。

父の妹夫婦も戻ってきてくれました。

みんながそろったのが23:30頃かな?(たぶん)

それから数値は悪くはなっていますが今すぐにってことは

なさそうで・・・

妹さん夫婦と家の長女と次女は泊めてもらうことにして

かえって行きました。

旦那もタバコを1本吸いに降りていくって降りていきました。

タバコくらい我慢しなよ〜なんていいながら

エレベーターまで送って部屋に戻り・・

15日の1時でした。

また機械が自動的に脈拍、血中酸素濃度、血圧とはかり

出したら・・・・・

血圧の下が数値が出ないと思ったら・・脈も・・血中酸素も

波動がみだれ・・・・

旦那や妹さんたちに連絡するのですが・・

連絡とれず・・

旦那が戻ってきて・・

え〜〜〜って感じだった思います。

お母さん・・お母さん・・頑張って〜〜と泣き叫ぶのですが

届かず・・・

5月15日1時15分お亡くなりになりました。

と医師から告げられました。

しばらく・・母のそばに居ていろいろな手続きやら

決めることに追われ・・・


母と一緒に家に戻ってきました。


16日の夕方までは母は家にいられました。

16日は昼間はいろいろ葬儀屋さんと決めることも

ありバタバタしていましたが夜は

妹も弟もみんな家に帰っていきました。

みんな寝てないの帰宅して寝ることにしました。

夜は旦那の親友でもあり私の友人でもあるN君が着てくれました。

父は早くに休んでもらい

N君が来る前に交代でお風呂に入りました。

旦那がお風呂に入ってる間・・棺のそばで一人で声が出るの抑えて

泣きました。

それからまたお風呂でシャワーの音でごまかせるので

声を上げてワンワン泣いて・・ひとしきり泣きました。

その後N君がきてくれたのか安心したのか旦那はろくに会話も

せず母の隣で眠りました。

私も・・2.3時間だけN君に任せて寝ちゃいました。


16日の16時に母は葬儀場へ行く時が悲しく寂しくてまた泣けてきて・・・


それからは通夜、葬儀とバタバタと過ぎていきました。

たくさんの方にお参りに来ていただき本当にありがとうございました。


葬儀が終わりまだ・・母は旅行にでも行ってるような気がします。

夜、仕事が終わり部屋にいて下から声がすると・・

あっ・・お母さん帰ってきた!なんて思ってハッと気が付くと

あ・・・いなかったんだ。

と思う今日この頃です。


五七日の法要5日前にふっと思い・・春光社さんで

こんなものを作ってもらい妹弟、親戚、母の仲の良かった方に

こんなものをプレゼントしました。

自分が一番ほしかったのですが(笑)

家ある写真を10枚ほど持っていって1枚の写真にしてもらいました。


長い長い話を読んでいただきありがとうございました。

これから日記再開しますのでよろしくお願いします。